邪馬台国と大和朝廷を推理する

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zoom RSS 兵庫県加古川市・上村池遺跡と三木市のトンボ (現地公開見て歩き171)

<<   作成日時 : 2017/03/06 18:45   >>

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兵庫県三木市では、
加古川の支流の美嚢川と、
その支流の志染川が158mの山を囲んでいます。
(美嚢川:みのがわ)(志染川:しじみかわ)
158mの山が高千穂峯にあたります。
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トンボの左岸には大宮八幡宮があり、神武天皇の都に対応します。
トンボの内側には尾崎八幡社があり、神武天皇の墓に対応します。

トンボの右岸には八雲神社があって、
オシホミミと宗像三女神ほかの神々が祭られています。
八雲神社は台与の都に対応すると見られます。
トンボの内側の八幡社は台与の墓に対応します。
また、加佐にある三坂神社にはアマテラスが祭られており、
台与の都に対応する可能性がありますが、
参道が西に伸びているのが気になります。

上流の九社神社には祭神の中にオオヒルメ(アマテラス)の名があり、
卑弥呼の都に対応すると見ることが出来ます。
トンボの下流左岸には卑弥呼の墓に対応する神社があるはずです。
少し遠いですが、加古川市加古川町の日岡神社には
トヨタマヒメやアマテラスが祭られています。
トヨタマヒメは卑弥呼の別名、アマテラスは卑弥呼や台与の別名です。
日岡神社は卑弥呼の墓に対応する神社に違いありません。

日岡神社の近くの日岡古墳群には前期の前方後円墳が4基あり、
卑弥呼の墓に対応します。
日岡山1号墳、北大塚古墳、南大塚古墳、勅使塚古墳です。

また、加古川市神野町の西条52号墳や
加古川市野口町の聖陵山古墳などの古式古墳も
卑弥呼の墓に対応すると見て良いと思います。

ということで、
三木市と加古川市にまたがる地域を邪馬台国に認定します。
古墳時代の三木市は東播磨の中心だったかも知れませんね。


2017年03月04日、現地確認に行って来ました。
JR東加古川駅の南口でレンタサイクルを借りて出発です。
三木市までの往復は距離があるので、今日はしんどいかも。
聖陵山古墳の地図。
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旧別府鉄道の線路跡の遊歩道と電車。
奥(南)の小山は聖陵山古墳の後方部。
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南から見る聖陵山古墳の後方部。
左に前方部が続くのですが、削平され、お寺の建物が建っています。
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ふと気づくと、上の写真の右手の梅の花が揺れていました。
2羽のメジロでした。
中央付近の上下に分かれて写っています(トリミング写真)。
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西条古墳群に寄って行きます。
西条古墳群の地図。
(ピンクの線は以前に行った時のルート。濃い赤は今回のルート。)
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中期古墳の行者塚古墳では西側造り出しに埴輪が復元展示されています。
変わった古墳で、
前方部の左右と後円部の左右に合わせて4つの造り出しを持っています。
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2011年02月27日の人塚古墳。
周濠の深い古墳です。これも中期古墳です。
人塚古墳の後円部側には奈良時代初期の西条廃寺跡が広がります。
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2011年の人塚古墳の調査区。
周濠の底には1m以上の土が積もっていたようです。
前方部は土取りのために失われ、長さ7mほどが残されています。
本来の長さは不明です。
比高差10mほどの台地の端に前方部を向けた古墳です。
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古墳のある台地は東と南に広がっています。
北の方にも細長く尾根状に伸びて城山に突き当たります。
古式古墳の西条52号墳は尾根の上にありましたが、
宅地開発で消滅しています。

2011年の人塚古墳の1段目テラスの円筒埴輪列。
墳丘の2段目には葺石がありますが、1段目にはありません。
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2011年の説明会はブログにアップしませんでした。
トンボも見つかっていませんでしたし、
コンセプトが見つからずに気持ちがしぼんだような気がします。

今日は近くの上村池遺跡で午後1時半から現地説明会が行われますが、
時間が調整できないので写真だけ撮ってスルーです。
奈良時代後期(8世紀)の掘立柱建物跡のようです。
ここも西条古墳群や西条廃寺と同じ台地の上に立地します。
100mほど北東に離れたところにも調査区があるようでした。
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いよいよ三木市内へ。
三木市の地図。
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三木市内を時計回りに巡ってみました。
まず、大宮八幡宮。
三木城跡の南にある山の中腹に位置します。
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三坂神社(みさかじんじゃ)。
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美嚢川と158mの山。
(美嚢川:みのがわ)
右手の広がりのある山が158mの山です。
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八雲神社。
社殿の額には八雲武大神とありますから、主祭神はスサノオでしょう。
ネット情報ではスサノオの名を外したものもありました。
スサノオは台与の名目上の父ですから、推理に影響はなさそうです。
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九社神社。
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田んぼの中に白壁に囲まれた一角があり、中に竹中半兵衛の墓。
美濃国の人なのに何で、美嚢川(みのがわ)の左岸に。
案内板によれば、三木城攻めの最中にここで病死したのだとか。納得。
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竹中半兵衛の墓を探していて見つけた八幡社。
豊臣秀吉が三木城攻めの時に本陣を置いた平井山が近くにあるとか。
右手の道を200mほど山に入ると駐車場があるらしい。
158mの山から西に伸びる峰筋にあたるようです。
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尾崎八幡社。
尾根の先端にあり、「カシの尾の上」を連想させる地形と社名です。
神武天皇の墓に対応すると考えた根拠です。
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最後は余裕がありそうなので、加古川市の日岡古墳群へ。
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日岡神社。
主祭神は伊佐々彦命。
景行天皇の皇后の稲日大郎姫の出産に際して、
伊佐々彦命が安産祈願をして無事出産になったとされます。
(稲日大郎姫:いなびのおおいらつめ)
右手の山上にある日岡山1号墳は稲日大郎姫の墓と伝承されています。
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全部回る元気と時間はないので南大塚古墳だけです。
日岡古墳群に多い前期の前方後円墳の1基です。
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おまけ
旧三木駅。現状は公園のようでした。
かつて厄神駅と三木駅を結ぶJR三木線があったそうですが、
第三セクターの三木鉄道となったのち
平成20(2008)年に廃線になったそうです。
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同じく旧別所駅。
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グーグルアースを見ると、
先に紹介した別府鉄道も三木鉄道も線路跡をたどることが出来ます。
三木鉄道の線路跡は一部工事中のようですから、
将来は遊歩道やサイクリングロードに生まれ変わるかも知れません。



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