邪馬台国と大和朝廷を推理する

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zoom RSS 兵庫県加西市と小野市にまたがるトンボその2

<<   作成日時 : 2017/04/18 20:17   >>

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兵庫県加西市と小野市にまたがるトンボの続編です。
(参考:加西市と小野市にまたがるトンボ(現地公開119)2015・03・29)
加西市と小野市にも前期古墳の情報が見つかりましたので、
トンボの聖地に絡めて紹介します。
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加西市南部の若一王子神社は卑弥呼の都に対応し、
太神宮は卑弥呼の墓に対応します。
太神宮の東1qのところには粟生三ツ塚古墳群(小野市粟生)があり、
卑弥呼の墓に対応します。
  1号墳 円墳、径16m。
  2号墳 円墳、径14m。
  3号墳 円墳、径13m。
万願寺川の上流左岸には皇塚古墳(円墳、径16m)があり、
これも卑弥呼の墓に対応すると見て良いと思います。

また、若一王子神社と太神宮の役割をひっくり返して、
太神宮はツクヨミの都に対応し、
若一王子神社はツクヨミの墓に対応すると見ることも出来ます。
若一王子神社の1q東には四隅突出墓の周遍寺山1号墳があり、
ツクヨミの墓に対応します。
弥生末期の四隅突出墓とされますが、おそらく庄内期と思われます。
  1号墳 10m X 6.5m
トンボの聖地に四隅突出墓を絡めて紹介するのは
鳥取県の日野川流域にある伯耆町鬼住山のトンボを紹介したときの
父原1号墓と2号墓、
出雲市のトンボを紹介したときの西谷3号墳、に続いて3度目です。
(参考:赤穂市の有年牟礼・山田遺跡(現地公開)2012・03・20)
(参考:島根県出雲市のトンボ  2017・01・15)

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小野市粟生には近津神社があって、ニニギが祭られています。
近津神社の東を見ると、加古川のそばに粟嶋神社があります。
川を渡ったさらに東の王子町宮山には熊野神社があり、
イザナミが祭られています。
ニニギはイザナギの別名ですから、
近津神社はイザナギの都に対応し、
熊野神社はイザナギの墓に対応します。
三宮も想定できそうです。
  近津神社 ―― 粟嶋神社 ―― 熊野神社
熊野神社のすぐ北東には径45mの円墳・王塚古墳があります。
中期古墳ですが、イザナギの墓に対応します。
むかしは周辺に多くの古墳があり、
大部宮山古墳という前期古墳もあったらしいですが、詳細は不明です。
また、北東に離れていますが、
四隅突出墓の船木南山古墳もイザナギの墓に対応します。
船木南山古墳も庄内期の四隅突出墓だと思われます。
  船木南山古墳 14 m X 13.5m(消滅)
(加西市や小野市では四隅突出墓を古墳と呼んでいます。)
(弥生時代と古墳時代の境目にあたるややこしい時代ですからね。)
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(上の地図では、粟嶋神社の東に加古川を渡る橋が書かれていませんが、)
(グーグルアースを見ると現在工事中で、通行止めになっています。)
(加古川の橋を歩いて渡ろうかと考えていましたが、電車にします。)

小野市のすぐ北は加東市です。
古代には加西市・加東市・小野市を合わせた地域が播磨国賀毛郡でした。
加東市には鴨川が流れ、秋津の地名もあります。
おそらくトンボの聖域に含まれるという自覚があったと思われます。
加西市・加東市・小野市を合わせた地域を旧賀毛郡のトンボとして
改めて邪馬台国に認定します。


2017年04月16日、王塚古墳と周遍寺山1号墳の周辺を歩いて来ました。
JRで粟生駅(あお・えき)に着いたら
神戸電鉄の電車が止まっていたので、まず小野駅に向かいます。

小野駅西口から小野市立好古館へ。
台地の端に立地して、江戸時代には小野藩の陣屋があったそうですが、
今は跡地に小野市立好古館と小野小学校と小野高校が建っています。
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好古館の正面と右手は小野小学校。右背後の位置に小野高校。
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普通ならパスするところです。
以前触れたウィリアム・メレル・ヴォーリズは一柳満喜子と結婚して、
日本に帰化し、一柳米来留という日本名があるらしいですが、
その一柳満喜子は小野藩の殿様の一柳氏の子孫らしい、
というので来てみました。(一柳:ひとつやなぎ)
二人の残した近江八幡市のヴォーリズ学園は今も続き、
近江兄弟社高校は甲子園に出場したこともあるらしいです。
(参考:東近江市・神郷亀塚古墳と多賀大社のトンボ 2015・11・25)

熊野神社の入口。
熊野神社もまた台地の端に位置しています。
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熊野神社。左奥に王塚古墳がチラッと見えています。
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王塚古墳。大変残りの良い古墳です。
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小野駅への帰り道で見た大池。
台地が浸食されてできた谷間に作られたダムでしょうか。
台地の多い加古川流域ならではの景観と思われます。
古墳時代には台地の上では水田作りは難しく、
馬の放牧などが行われたのかも知れません。
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振り返ってもやはり少し低い位置に小さなダムです。
向こうに見える平野部を潤す溜池なのでしょうか。
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小野商店街を抜けて帰ります。
かなり長〜い商店街です。昔はにぎわったのでしょうけど…
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小野駅で神戸電鉄に乗って粟生駅へ。
粟生駅から北条鉄道に乗り継いで網引駅に向かいます。
(網引駅:あびき・えき)
網引駅のシンボルは秋なら大イチョウですが、今は桜と菜の花。
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駅の横の踏切を越えて周遍寺山1号墳を目指します。
写真右奥の山の上に周遍寺山1号墳があります。
万願寺川に架かる橋を渡ると、右手に山の登り口があります。
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拡大地図。
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到着。山つつじが迎えてくれます。
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展望台に上ると山頂に向かう道らしきものが見えます。
この道を通って藪に入るとすぐの右手に周遍寺山2号墳、
奥の左手に3号墳、
戻って2号墳の裏手に回り込むと1号墳がありました。
(写真の看板には兵庫県設置の保健保安林とありました。)
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周遍寺山2号墳。
遺跡地図では「18mx12m四隅突出墓か」とありましたが、
貼石や葺石は見えず、長円墳のようにも見えます。
(1号墳は調査されていますが、2号墳と3号墳は未調査らしいです。)
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周遍寺山3号墳。
遺跡地図では「径12mの円墳」です。
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小ぶりな3号墳を見たところで、
2号墳の裏手に1号墳があるはずだと考えて回り込んでみました。
ありました。
周遍寺山1号墳の西側の貼石です。
墳頂には石棺らしきものも見えます。
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周遍寺山1号墳の箱式石棺が露出しています。
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周遍寺山1号墳の北側の貼石です。
四隅の突出部はよく分かりませんでしたが、
四隅突出型墳丘墓の全国分布表にも記載されています。
近畿で観察できる唯一の四隅突出型墳丘墓です。
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粟生三ツ塚古墳群は道の無い場所のようなので今回はパスします。
網引駅から電車で帰ります。
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