邪馬台国と大和朝廷を推理する

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zoom RSS 蒲生野(日野川と竜王山のトンボ2)

<<   作成日時 : 2017/04/27 19:57   >>

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前回、
ケンサイ塚古墳には市辺押羽皇子の墓という伝承があると書きました。

市辺押羽皇子は履中天皇の子ですが、
雄略天皇が皇位継承のライバルを排除しようとして、
市辺押羽皇子を近江国来田綿の蚊屋野に狩猟と称して誘い出し、
猪と間違えたふりをして射殺したとされます。
(来田綿:くたわた) (蚊屋野:かやの)
2人の子(後の顕宗天皇と仁賢天皇)は難を避けて、
播磨国縮見屯倉に逃れたといいます。
(縮見屯倉:しじみのみやけ。)
(縮見屯倉:兵庫県三木市に志染川(しじみ・がわ)があります。)

その後、顕宗天皇が即位すると、
父の遺骨を探し出し、墓を作って埋葬したとされます。
東近江市には市辺押羽皇子の墓と伝承されるものが3カ所にあります。
狩猟の地である蚊屋野を探すときのヒントになるはずです。
東近江市妙法寺町にある前方後円墳の墳長30mほどの熊ノ森古墳、
東近江市市辺町にある宮内庁が指定する磐坂市辺押磐皇子の墓、
東近江市木村町にあったケンサイ塚古墳です。
(ケンサイ塚古墳は2000年に方墳と判明か(北村さんちの遺跡めぐり)。)
画像


熊ノ森古墳。
(右手に伊吹山が写っています。)
『前方後円墳集成』にも記載されていない古墳らしいです。
つまり詳細不明の前方後円墳のようです。
画像


宮内庁が指定する磐坂市辺押磐皇子の墓。
横穴式石室を持つ後期古墳らしいです。
市辺押羽皇子の墓は中期末の古墳になると思われますが、どうでしょう。
画像


久保田山古墳の隣接地に、かつてケンサイ塚古墳がありました。
奥は雪野山。
画像


熊ノ森古墳と宮内庁指定の墓は蒲生野と呼ばれる土地にあります。
ケンサイ塚古墳は蒲生野の南に隣接する土地にあります。
ケンサイ塚古墳の西にある
蛭子田遺跡からは古墳時代の集落跡や木製の鐙が見つかっています。
(鐙:あぶみ。馬具。)
水の便の悪くない低湿地ですが、木製の鐙は狩猟を連想させます。

蒲生野は八日市を中心に八風街道に沿って東西に広がる地域で、
水の便が悪く水田開発などが遅れた地域とされます。
(『NHK人間大学 景観から歴史を読む』1997足利健亮「野とは何か」)
(八風街道:はっぷうかいどう。)
(八風街道:近江八幡から三重県北部へ抜ける道。八風峠を越えた。)
(八風峠:八方から風が集まり通り抜けることから名付けたとか。)

東近江市野村町にある金貝遺跡は愛知川左岸の段丘上にあり、
8世紀後半から用水路で愛知川の水を引いて開発が進んだようです。
(金貝遺跡:かなかい・いせき)(愛知川:えちがわ)
墾田永代私財法の施行以後のことらしいです。
権力者の強い意思がなければ開発の難しい地域だったようです。

開発の進む前、
天智天皇の頃には薬草や染料に用いられた紫草を採集したり、
狩猟をする場所として知られていました。
  天皇の、蒲生野に遊猟(みかり)したまひし時に、額田王の作れる歌
  あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る(万葉集20)
(あかねさす:ムラサキにかかる枕詞。)
(紫草:ムラサキ。根が赤い。ムラサキの生える野が紫野。)
(標野:しめの。意味は、皇室占有地などの標(しるし)のある野。)
(標野:しめの。読みは、締め出すの「しめ」か、占めるの「しめ」か。)
(標野:しめの。表記は標野(しるしの)でも、読みは締め野、ということか。)
(野守:標野だから番人がいるということらしい。)
(額田王:ぬかたのおおきみ)

以上のことを踏まえれば、
市辺押羽皇子が殺された近江国来田綿の蚊屋野は
蒲生野を指すと見て良いでしょう。
顕宗天皇の頃はまだ皇族の墓は前方後円墳だったでしょうから、
熊ノ森古墳が市辺押羽皇子の墓にふさわしいかと思われます。
墳長30mほどの小さな古墳ですが、
国内を二分した混乱の最中であり、
顕宗天皇はまだ、権力を掌握しきれていなかったかも知れません。

顕宗天皇が父の遺骨を探すにあたっては
「村井の置目」という老女が場所を覚えていたと言います。
後に日野町のあたりを領地として与えられ、
死後は馬見岡綿向神社の地に祭られたと言います。
馬見岡綿向神社の森は昔は置目の森と呼ばれたらしいです。

今は、「村井の置目」は馬見岡綿向神社の地主神とされています。
馬見岡綿向神社は、元は、
綿向山のふもとにあったとされています。
今、綿向山の南のふもとにある熊野神社のことかも知れません。
馬見岡綿向神社の境内にある置目社と御前桜。
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金貝遺跡の案内板。
振り返ると後ろには新しい人工の川と穂垂橋があり、渡ってみると…
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新しい人工の川にかかる穂垂橋。
人工の川は蛇砂川の放水路と思われ、下流で愛知川に合流する様子です。
下流側に見える橋は台地を潤す用水路専用の橋です。
ここの台地は昔は用水を確保するのが難しく、
その上、集中豪雨の時にはたびたび小さな蛇砂川が氾濫したらしいです。
何を作っているのかと思っていましたが、蛇砂川の放水路でしたか。
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穂垂橋を渡ってまっすぐ進んだら右手に熊ノ森古墳がありました。

帰りに用水路を下流に向かってたどっていくと街中はこんな景色です。
  水路追い 迷い入りたる 青もみじ
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こちらは八風街道から分かれる伊勢道。
八日市で初めて見つけた古い町並みです。
この先を進んでいくと、蛇砂川にかかる小さな橋があり、
掲示板に洪水時の写真が貼り付けてありました。
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伊勢道は江戸時代の脇道で、御代参街道という呼び名があります。
中山道の小幡から八日市、日野を通って東海道の土山に抜けます。
(小幡:東近江市五個荘小幡町。近江鉄道の五個荘駅の近く。)
南向きは伊勢参り、北向きは多賀参りでにぎわったと言われます。
近江鉄道はおおむね古い街道に沿っています。
八日市は八風街道と御代参街道の交差点です。

近江鉄道で八日市駅に到着した時の駅前の写真。
この日(4月22日)、町のあちこちで演奏会が行われておりました。
ピンクののぼりには「びわこJAZZフェスティバル」と。9回目とか。
外人さんの姿も多かったです。
画像

情報をいろいろ盛り込み過ぎてしまいました。
八日市こそ八風峠ですからねぇ。



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