邪馬台国と大和朝廷を推理する

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zoom RSS 大阪府高槻市の高槻城跡 (現地公開見て歩き177)

<<   作成日時 : 2017/06/04 21:56   >>

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2017年06月03日、
大阪府高槻市の高槻城跡の現地説明会に行って来ました。
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説明会資料の城跡平面図。
城はもうありませんが、外周道路がしっかり残っています。
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野見神社の南側で発掘調査が行われています。
幅18mの内堀が東西75mにわたって確認されました。
(一部、断面を見るために掘り残してあります。)
右手が三の丸の野見神社、左手が二の丸の野球のグラウンドです。
(野見神社だけは昔のままです。)
(野見神社の北には教会がありました。)
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堀の底は二筋に分かれているようです。
橋脚の向こう側とこちら側に石垣が見えますが、
橋脚から遠いところには石垣が見えません。
重要なところだけ石垣にしたようです。
手前の石垣を見ると、
補強の杭、根固め石があって、そのこちら側に石垣が組まれています。
石垣の上の方は明治時代に鉄道建設などで抜き取られたらしいです。
そのため石垣の裏込めの栗石が崩落して散乱しています。
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堀の底は二筋に分かれていますが、手前が古い時期の堀です。
奥が新しく、高山右近の時代に拡張されたと考えられています。
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これは江戸時代の土橋の跡です。
二の丸側に不明門(あかずのもん)を作るときに、
資材の搬入などの目的で一時的な土橋を作ったらしいです。
石垣の石や不明門の木材その他を運んだのでしょうか。
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以上のことを5枚の模式図で説明がされていました。
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これまで古絵図にも記載がなかったという橋脚を北側から。
橋脚は内と外の2列があります。
外側には太い一本柱の橋脚の列、
内側には細い柱を2〜3本組み合わせた橋脚の列があります。
内と外の2列は同時に存在したとは考えにくく、
外側の橋脚が先行し、
内側の橋脚は架け替えの可能性が高いと考えているそうです。
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遺物です。
一石五輪塔欠片        組み合せ五輪塔部材片
(16〜17世紀)        (15〜16世紀)
「☆」「エ四」と記された陶器  蓮華文軒丸瓦   土師皿
(近代)           (平安時代中頃) (11C〜12C初)
(陸軍工兵第四連隊に伴う遺物)
弥生土器
(壺の底部)
(弥生時代中期)
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遺物。
         備前焼すり鉢(口縁部)  瓦質火鉢(口縁部)
         (16C後半〜17C初)   (16〜17世紀)
         隅軒平瓦(聚楽第と同型)
         (16世紀末)
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資料では聚楽第の軒平瓦と同じ文様の掛平瓦が出たと書かれています。
高槻城は平安鎌倉時代から続く城で、
信長に滅ぼされたあと和田惟政、続いて高山右近が城主となりました。
高山右近が船上城(ふなげじょう。明石市。)に転封になると、
以後は、豊臣秀吉、徳川氏、内藤氏、永井氏へと城主が変わります。
(ちなみに東播磨の中心は、かつては三木城でしたが、)
(三木城の別所氏が豊臣秀吉に滅ぼされると、船上城が中心となり、)
(江戸時代に小笠原氏が船上城から明石城に中心を移したらしいです。)
(へぇ〜っ、三木城へつながりましたか。なるほどぉ。)

遺物に戻ります。
御庭焼の匣(さや)        鎹(かすがい)
染付皿(肥前系)        (不明門の橋脚上部構造に伴う遺物)
(18世紀後葉)
染付丸碗(肥前系)                軒平瓦
(19世紀前葉)                 (17世紀初期)
肥前系陶磁器         軒丸瓦(天吉)   軒丸瓦
(17世紀〜17世紀中頃)   (18世紀)     (17世紀前半)
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天吉は天神前、吉兵衛を略した屋号(ブランド)らしいです。

しろあと歴史観の案内です。
よろい・かぶとと陣羽織が展示されています。
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高槻城北門跡の交差点。
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東側にある高槻城大手門跡。
現在は通れません。中学校のフェンスに突き当たります。
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高槻城南門跡の交差点。
外周道路には化粧が施されて分りやすいです。
南西側には化粧の無いところもあります。
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高槻城南門跡を入ると城跡公園があります。
池があって本丸南東の内堀跡付近にあたります。
弁天島が作られていたあたりだと思われますが、
正確に重なるわけではない様子です。
銅像は高山右近でしょうか。
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今回の説明会は高山右近を通じて、
茨木市千提寺のキリシタン墓や三木市のトンボにもつながりました。
(参考:兵庫県加古川市・上村池遺跡とトンボ (現地公開)2017・03・06)
(参考:大阪府茨木市の千提寺菱ヶ谷遺跡とトンボ (現地公開)2015・07・09)
(参考:大阪府高槻市の安満遺跡 (現地公開)2015・07・04u)
(参考:茨木市の千提寺西遺跡 (現地公開89)2013・03・28)
(参考:千提寺周辺と茨木市のトンボ (現地公開88)2013・03・27)

行きと同じく、淀川の土手を通って自転車で帰ります。
  現説へ ペダルこぐ朝 五月晴れ
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