邪馬台国と大和朝廷を推理する

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zoom RSS 大阪府高槻市の高槻城跡3 (現地公開見て歩き227)

<<   作成日時 : 2019/02/04 18:53   >>

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2019年02月02日、
大阪府高槻市の高槻城跡の二の丸跡での現地説明会に行って来ました。
今回は3度目です。
(参考:大阪府高槻市の高槻城跡2 (現地公開207) 2018・06・05)
(参考:大阪府高槻市の高槻城跡 (現地公開177) 2017・06・05)
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説明会資料。
堀の位置が変遷しているようですが、
当初から大きな(広い)城だったのでしょうか。
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今回の公開エリアの南東部。障子掘りが出た調査区は奥にあります。
テープの右が堀で、左が本丸。
赤いテープが和田帷政時代の堀の位置で、
白いテープが高山右近時代の堀の位置と思われます。
これから掘り下げるとすれば、また説明会があるかも知れません。
(和田帷政時代の堀はこの奥で、去年の6月に公開されました。)
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奥に進むと屈曲する石垣が見えてきます。
高山右近時代の本丸の西部が北に張り出していたようです。
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堀側から見た石垣の下部。
胴木の上に石垣を組んでいる様子が分ります。
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奥(西)の調査区では高山右近時代の堀が出土しています。
堀の下部は素掘りで、上部に石垣を組んでいます。
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高山右近時代の堀を西から。堀の底は障子掘りになっています。
障子掘りには泥がたまっており、
堀を渡る敵は足を取られて動けなくなるらしいです。
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墨書のある石材
堀内へ投棄された石材のひとつに、
「元和三年」と記された墨書が見つかった。
右近期の堀の埋め立てが、このとき始まったことを証する貴重な資料。
(元和三年:1617年。げんな・さんねん。)
(鶴田左平:来歴不明の人物。堀を埋め立てた時の責任者か?)
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今回遺物の展示はありませんでした。


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