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zoom RSS 兵庫県淡路市の舟木遺跡とトンボ (現地公開見て歩き231)

<<   作成日時 : 2019/02/25 18:47   >>

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2019年02月23日、
兵庫県淡路市の舟木遺跡の現地説明会に行って来ました。
弥生後期から庄内期にかけての鍜治集落の遺跡です。
淡路島は、
淡路市の震災記念公園セミナーハウスでの五斗長垣内遺跡の報告会や、
個人的に五斗長垣内遺跡を見に行ったのに続いて3度目です。
(五斗長垣内:ごっさ・かいと。)
(参考:垣内遺跡(現地公開見て歩き25)2010・02・01)
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ただし、
淡路島にはトンボの聖地が多数あり、それを紹介したことはあります。
(参考:兵庫県南あわじ市のトンボ        2017・02・11)
(参考:兵庫県洲本市のトンボ          2017・02・10)
(参考:淡路市五斗長垣内遺跡と舟木遺跡のトンボ 2017・02・09)
(参考:兵庫県淡路市イザナギ神宮のトンボ    2017・02・08)

問題は五斗長垣内遺跡と舟木遺跡の年代がはっきりしないことでした。
今回の説明会資料によれば、28年度・29年度調査区は
弥生後期後半〜弥生終末期(2世紀後半〜3世紀前半)とされています。
これは、庄内期の遺跡という理解で良さそうです。
(庄内期にかかるかどうかが、私にとっては謎でした。)
(これで納得です。)
(垣内遺跡や舟木遺跡の人々がトンボの聖地を作ったとみられます。)
淡路市HPにも森岡秀人氏の寄稿文があり、それによると、
  「舟木遺跡は庄内式期の時期まで衰退せず、継続している。
  しかし、布留式段階には繋がることなく終焉する。」
と書かれています。
五斗長垣内遺跡も舟木遺跡とほぼ同じ時期の遺跡で、
舟木遺跡よりも少し古い時期に終焉したということのようです。


今回は神戸市舞子から本四仁井まで高速バスに乗り、
本四仁井からは歩くことにしました。
高原状のゆるいアップダウンが続く道を歩きます。
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満開の梅。本四仁井バス停付近。
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分水嶺の十字路を過ぎて間もなく、
石上神社の案内板を見つけて、脇道へ入ります。
(石上神社:いしがみじんじゃ。)
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石上神社の入口。
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尾根上にある神社で、大きな岩がご神体です。
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石上神社の裏手の谷間。右手の森は28年度・29年度の調査区です。
奥に今回の調査区が見えます。
奥の左の山が大戸山、舟木遺跡のトンボの高千穂峯です。
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現地付近に着いたのが10時ごろ、説明会は1時半からです。
時間に余裕があるので野島川の河口付近まで歩いてみました。
途中、雨が小さくパラッと来たのを境に西の方から晴れ間が広がります。
河口付近の野島川。右奥の山は大戸山。
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坂道を登って再度山の上に戻ります。
五斗長垣内遺跡と同様の山の上の鍜治集落跡です。
山の上なら燃料の木炭を手に入れやすいということでしょうか。
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急斜面を尾根まで登ると下の石上神社があります。
トンボの左岸側に二つの石上神社が並んでいます。
イザナギの都と墓に対応するのかも知れません。
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下の石上神社から先は標高100m前後の高原地帯です。
池の向こうに今回の調査現場が見えます。
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今回は愛知県一宮市や奈良県天理市でも現地説明会がありました。
初めは雨の予報でしたので何処にも行かないつもりでしたが、
晴れて良かったです。


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