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zoom RSS 奈良県明日香村の小山田古墳3 (現地公開見て歩き228)

<<   作成日時 : 2019/02/05 20:19   >>

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2019年02月03日、
奈良県明日香村の小山田古墳での現地説明会に行って来ました。
今回は2度目です。
(参考:明日香村の小山田遺跡 (現地公開113) 2015・01・19)
2017年8月には石室の一部で羨道と呼ばれる通路の跡が確認され、
26日に現地説明会がありましたが、
この時は京丹後市の丹波丸山古墳群に行っておりました。
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近鉄吉野線の岡寺駅から出発です。
駅のそばにある見瀬丸山古墳。
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植山古墳を眺めることが出来ました。
(青いビニールシートの横の屋根に覆われた部分。)
改葬される前の推古天皇の陵墓です。
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現場の明日香養護学校まで来ると、多武嶺が見えます。
(多武嶺:たむのみね。とうのみね。山頂に談山神社があります。)
このあたりは東西南北から坂道を上って来た頂上にあたるところで、
ちょっと面白い地形です。
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説明会資料。
学校が出来る前の旧地形に古墳復元図と調査区が書き込まれています。
1辺70mの方墳と見られていましたが、
北辺の幅は72m、南辺の幅は80m以上と推定されることになりました。
ただし、南側と東側が未調査なので確定ではありません。
被葬者の候補には舒明天皇(〜642)や、
蘇我蝦夷(〜645)の名前などが挙げられています。
(舒明天皇:じょめいてんのう。)(蘇我蝦夷:そがのえみし。)
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今回の現場を北から。
今は片づけられていますが、
墳丘の裾部分には葺石が転げ落ちていたそうです。
 (後世の堆積土)                学校建設時の造成土
 (墳丘盛土)                   後世の堆積土
            墳丘側からの流入土   後世の堆積土
 (土器棺墓)   墳丘盛土裾
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今回の現場を西から。
       墳丘盛土 後世の堆積土 墳丘盛土断面オルソ画像位置
 後世の堆積土              (学校建設時の造成土)
 墳丘盛土                 (後世の堆積土)
          (墳丘側からの流入土)
 土器棺墓   (墳丘盛土裾)
                (後世の堆積土)
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墳丘盛土断面オルソ画像。
古墳に張り付いていたはずの葺石が見えません。
古墳は築造後間もなく、被葬者がほかの場所に改葬されたらしく、
破壊されています。
墳丘の裾部分には板状の葺石が転げ落ちていたそうです。
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土器棺墓。長さは30センチ程度。7世紀後半〜8世紀初頭の土器。
小児の墓か、火葬墓か、それはこれからの調査次第。
7世紀の中頃から後半に小山田古墳は破壊され、
その後に土器棺墓が作られたらしいです。
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墳丘裾部で見つかった板状の葺石。
墳丘上部に使われた室生安山岩(榛原石)。
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墳丘裾部で見つかった板状の葺石。
墳丘下部に使われた結晶片岩(緑泥片岩)。
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おまけ。
道すがらに見つけた鉄製のワンコ。略して鉄ワン。
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